ガスール ~背景~

ガスールとの出会い

ガスールの鉱山

ガスールという存在を知り、書籍等を調べたところ、既に14世紀にはモロッコはもちろん、アラブの女性にはとても身近なものだったこと、ガスールの名の意味など少しずつその横顔が見えてきました。特に、『ハーレムの少女ファティマ』(ファティマ・メルニーシー著,ラトクリフ川政祥子訳,未来社,1998年)の中で、女性達がヘナやばら水、様々なハーブやオイル、果物、香りを組み合わせ、ガスールをアレンジし使うくだりが登場し、その憧れは更に強くなりました。


どのように採れ、どのように作られているのかも分からず、フェズやマラケシュのメディナ(旧市街)で売られているという話だけを頼りにカサブランカからマラケシュを訪れ、まずはメディナの中の香料やハーブの市場、アッタリーン・スークで実際にガスールがどのように売られているかを確かめました。そしてようやくガスールの鉱山のことが分かり、アトラス山脈の麓に長く続く小石の砂漠を超えた場所にある鉱山に辿り着くことができました。

採掘したばかりの原石

鉱山はマグネシウムやカルシウム等、ミネラルをたっぷり含んだ地質であり、それがガスールを生み出すための特別な場所であることも示しています。
この鉱山で採れるガスールの原石は、ロウのようななめらかで艶のある美しい塊です。緻密でなめらかな粘土の原石は、粒子が細かく質が高い証でもあるそうです。

ガスールの故郷

鉱山技師ハメッドさん

この美しく不思議な粘土は今も、手作業でよい鉱脈を選んで丁寧に大切に採掘されています。鉱山の技師たちは、なんと味でガスールの質を判別することもできるそうです。
鉱山には、小さなモスクもあり、床屋やカフェ、宿舎等もあります。ほとんどの鉱夫はここで暮らし、休日は家に戻って家族と過ごします。皆、鉱山への想いは強く、中には引退したもののその知識を後輩の鉱夫に伝えるために鉱山で暮らす名誉鉱夫のおじいさんもいます。


ガスールの原石が採れる場所は、アトラス山脈のわずかな地域に限られ、そのためとても貴重なものと言われています。
ガスールのある地層は、マグネシウムやカルシウム、ケイ素などを多く含んでいます。そのため、ケイ素やカルシウムを含む石膏やめのうの層とが交互になってガスールの地層はできています。
鉱床自体は広大でも、層の厚さはまちまち、場所によっては数十センチの薄い層もあるので、鉱脈を探すのも鉱夫の経験が頼り。薄い層を掘る仕事には機械は使えません。ガスールの鉱脈に続く坑道を掘るのも、原石の採掘も手作業で行なわなくてはならないのです。すべて手作業のため、一度に大量のガスールを得ることはできません。


人々は昔からガスールや二酸化ケイ素等の結晶を用いてきたようで、鉱山の周辺では古代人の矢じりが見つかることもあります。数十年前まで原石は貨幣と同じくらいの価値を持ち、塩やパンなどと交換できたそうです。人々が長い歴史の中でガスールを用い、大切にしてきたことがよく分かります。

粘土、古くて新しい素材

ガスールの原石

石鹸が作られるよりも昔、人々は川原や洞窟、崖に露出した粘土を集めては、石鹸のように使っていました。例えば、イギリスではフラーズアースという粘土を19世紀まで羊毛の洗浄に用いてきました。日本でも、洗髪、鍋や釜を洗うものとして、昭和の初めまで日常的に粘土が用いられてきました。
また粘土は、怪我や病気の治療や美容にも用いられ、その伝統は今も受け継がれていますが、これは動物が傷口に泥を塗り付けたり、食べたりして病気や怪我を癒す様子から人間が学んだと言われています。人も動物も経験的に粘土の力を知っていたのです。
さらに粘土は肌や身体に用いるだけでなく、器や、保温性の高い性質から建物の壁等にも用いられ、生活や生命を包むように守ってきた存在なのです。


古くから使われ、今も素晴らしい恵みを与えてくれる粘土。そしてその中でも肌や髪に大いなる恵みを与えてくれる粘土。それが、アラビア語で「洗い浄める」という名を与えられた粘土、ガスールです。


粘土だけで肌や髪の汚れを取り除き、潤わせることは古くから広く知られ、交易によってモロッコからチュニジア、中近東の国々へと伝わり、石鹸やシャンプーのように広く用いられてきた歴史を持ちます。

自然素材が並ぶ店先

次第にテレビ等のマスメディアが広がり、モロッコでもシャンプー等を売る大きなスーパーマーケット等を街で見かけるようになりました。少しずつその勢力に圧されながらも、今もモロッコの女性達にとって、ガスールは身近で誇らしい存在です。ヘナのボディペイント、鉱物の粉のアイシャドウやアイライン、ヘナとガスールを混ぜて作るペーストを整髪料にしてしまう等の大胆なお洒落。
自然素材を普段の生活や美容に当たり前に、美しく使う女性達に私達はとても驚きました。昨今、世界的に自然素材を使った生活スタイルが見直されています。ガスールをはじめとしたモロッコの自然素材はますます注目されていくでしょう。

豊かな素材の宝庫、モロッコ

地中海と大西洋に面した北アフリカの国、モロッコは、青と白、そして光のコントラストが印象的な街エッサウィラ、フランスの影響を受けたアールデコの白い街カサブランカ、古い歴史を持つ青い陶器の街フェズ、サーモンピンクの土壁と活き活きとした緑が印象的な街マラケシュ・・・、それぞれの街が鮮やかな色を持つ美しい国。古くからイスラム、ベルベル、アフリカの文化が交易によって交差し、独自の文化が作られてきました。
人が創り上げた文化的な魅力だけでなく、澄んだ青空、強い太陽の光、サハラからの暑く乾いた風、海からの風がもたらす優しい雨と霧、アトラス山脈の雪解け水、さまざまな気候がもたらす恵みのおかげで自然素材の宝庫でもあります。

歴史を語る街、マラケシュ

夜のフナ広場とマラケシュのシンボル「クトゥビア」

モロッコの古都、マラケシュ。商人達の小さな店がひしめき合い、両側に高くそびえた塀にドアだけが並ぶ、静かな細い道が入り組むメディナ(旧市街)と、交易の場でもあったフナ広場(ジャマ・エル・フナ)は、世界遺産にも指定されています。フナ広場は、長い歴史の中で人々が集まり、交流し、様々な歴史が積み重ねられた場所として、空間や人々の営みが世界遺産に登録された興味深い場所でもあります。
独特なサーモンピンクの土を使った、土壁の美しい建造物が並ぶ町並みは、景観保護のため新しく建てられる建物も外観を統一することが義務づけられています。

歴史を語る街、マラケシュ

ナイアード・モロッコ マラケシュ工房

2004年に設立、2005年より活動をスタートしたナイアード・モロッコの工房は、モロッコの中でも長い歴史を持つマラケシュの東およそ20Kmの郊外にあります。
辺りはオリーブ畑や麦畑、ドーム型のハマム(モロッコ式サウナ)のある土の家、羊を放牧する人、いかにもモロッコの田舎らしいのどかな風景です。晴れた日には、ベルベルの人達が暮らす美しい緑の谷、ウリカ渓谷がある山、その奥にアトラス山脈が望める明るく開けた場所です。


もともと果樹園だった工房の敷地のほとんどは、オリーブ畑が占め、5月の花の季節には辺りはキンモクセイに似た、オリーブの花の香りに満ちます。初冬にはオリーブの実を収穫し、搾ったオリーブオイルはスタッフの昼食や休憩の時間のミントティやパンと一緒に食べます。オリーブ畑はもちろん農薬も、化学肥料も使いません。肥料として糞を使うために、ウサギや羊等も飼っています。オリーブ畑の中には、アプリコットやレモン、オレンジ、ざくろ等の果実の木、休憩のお茶や料理の香り付けのためのミントやバーベナ、ローズマリー等のハーブもあります。


工房は伝統的なモロッコのスタイルや素材を採り入れています。外壁は土壁、屋内の壁は漆喰、中庭や水場はタデラクトと言われるモロッコ独自の防水漆喰、窓にも伝統的なスタイルの素朴で優しい曲線模様の飾り格子が埋め込まれています。

ナイアード・モロッコが作るガスール

出来たガスールをテラスから運ぶ

ガスール作りの最盛期は真夏。マラケシュの強烈な夏の日差しと大西洋からの西風がガスールを乾かします。暑い太陽の下、原石を乾かすためにテラスに運んだり、水を含んで重たく粘り気を帯びて溶けたガスールの液をかき混ぜたり、ガスール作りはかなりの力仕事。ガスールを作るスタッフは、工房近くの村に住むベルベルの男性達です。ガスール作りはシンプルな仕事。しかし、重い原石や出来上がったガスールを運ぶ作業は重労働であり、出来上がったガスールの検品、大きさの仕分け等の根気強さも必要。ダイナミックさと繊細さの両方が求められます。


ナイアード・モロッコは、2004年の創立当時より、モロッコの先住民族であるベルベルの人々が仕事をしています。モロッコでは、山岳部や砂漠にほど近い地域に住むベルベルの人々が安定した仕事に就くことが難しいとされてきました。彼らの中には家族が住む村を離れ、都市に仕事を求めて赴く人もいますが、通年を通した仕事に就くのが難しいという現状もあります。ナイアード・モロッコの活動は、根気強く、穏やかなベルベルの人々の通年に渡る仕事を作ることも目的の1つとして始まりました。
ナイアード・モロッコで働く人々の中には、モロッコの建造物の特徴的な技法であるタデラクト(防水漆喰)の職人だった人や、大工のように体を動かしものづくりをしてきた人もいて、彼らの美しく無駄のない動きと、根気強くじっくり仕事に向き合う姿勢等、様々な個性が融合し相まって、確実なガスールの品質を作り出しています。

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