朝摘みばら水~背景~

豊かな素材の宝庫、モロッコ

マラケシュ・フナ広場の喧噪

地中海と大西洋に面した北アフリカの国、モロッコは、青と白そして光のコントラストが象徴的な街エッサウィラ、フランスの影響を受けたアールデコの白い街カサブランカ、青い陶器の街フェズ、ばら色の土壁と活き活きした緑が印象的なマラケシュ・・・、それぞれの街が鮮やかな色を持つ美しい国。古くからイスラム、ベルベル、アフリカの文化が交易によって交差し独自の文化が創られてきました。人が創り上げた文化的な魅力だけでなく、澄んだ青空、サハラからの暑く乾いた風、海からの風がもたらす優しい雨と霧、アトラス山脈の雪解け水、さまざまな気候がもたらす恵みのおかげで自然素材の宝庫でもあります。そのモロッコで、厳しくも豊かな自然と共存し、長い時をかけて培った経験を今に伝えるのがベルベルの人々です。

ベルベルの人々の暮らし

ベルベルの畑と古い住居

ベルベル(自由人、高貴な人の意味)は、モロッコ等の北アフリカ一帯に暮らす先住民族です。独自の言葉、文化を持ち、それがモロッコ特有の穏やかで素朴な雰囲気を生み出す源となっています。
今も、モロッコの人口のおよそ3割はベルベルの人々で、山岳地帯や谷の川沿いに土の家の集落を作り、多くの人々が伝統的な暮らしを続けています。多くのモロッコの人が自分達の血にベルベルの血が流れることに誇りを持ち、その暮らしや歴史を、憧れを込めて話します。


ベルベルの村では、居住区域と畑の区域が分けられます。川に近い低い場所に畑を作り、それを囲むように小高い丘や谷の斜面に住居を設けます。村の一番高い場所に公共の井戸が掘られ、そこから供給される水が、畑から川まで水路を縦横に走り、人々の生活と畑の作物を支えます。
強い日差しの、乾いた土の壁の連なりを通り抜け、畑の区域へ足を踏み入れると、あたりはとたんに緑に溢れ、空気はすっと涼しく、まるで高原か豊かな緑の谷のような光景に一変します。樹木や湿った土によって生まれるひんやり冷たい空気と、居住区域の乾いた空気によって微気象が生じ、畑にはいつも涼しい風が吹いています。
畑には、様々な作物や果実が混在し、食物の他、牛の飼料用に豆科の植物に転作することで地力を高める工夫がなされ、肥料には、どこの家でも必ず飼われている羊や牛の糞が利用されています。伝統的にパーマカルチャー※に近い農業が行われているのです。

  • パーマカルチャーとは、自然と人間が継続可能な環境をデザインする手法です。

薔薇の町、ムゴナ

土に戻りつつあるカスバ

ムゴナは、アトラス山脈南面を走る、カスバ街道のほぼ中間点に位置する町です。豊かな水と一年を通して乾燥し、涼しい気候が特徴で、古くから薔薇の産地として知られた場所でもあります。
カスバ街道は、ベルベルの村が点在するモロッコの伝統が今も生きる地域で、谷沿いの土で作った伝統的な家の集落と緑濃い畑の、素朴で調和した風景が見られます。
ムゴナの人々もまた、伝統的なベルベルの村の形を受け継いできました。薔薇は緑豊かな畑の周縁に植えられますが、害獣や外部からの侵入者から他の作物を守るために植えられるため、特別な手入れはされず、自然のままに育ちます。

ムゴナの薔薇

垣根の役割を果たす薔薇

ムゴナの薔薇の特徴は、薔薇だけを栽培する専用の畑がないことです。薔薇は、麦等の食と現金収入を支える作物を害獣や外部から守るため、畑と畑の境界を示すために植えられた、いわば農業の副産物であり、村人自身にも香りや薬草として大切にされ、親しまれています。
かつて、ある大きな海外の企業が、薔薇を安く買おうと村の人々に強靭な圧力をかけてきました。村人達はそれに屈せず、抗議の印として薔薇を株だけ残して刈り取ってしまいました。薔薇は現金収入をもたらすものですが、村人にとって薔薇は、それ以上に豊かな実りの畑の喜びとベルベルの人々の結束と誇りを象徴する存在なのです。
現在では、畑によっては残念ながら化学肥料を用いる場合がありますが、私たちが薔薇を買い取る契約農家では、農薬はもちろん、化学肥料を使わず、ベルベルの伝統的な有機農法を追求します。


ばら水作りを始めた最初の年、私達は蒸留後の薔薇は、畑に返してもらうように村の人々に頼んでいましたが、次の年、村の人から、ムゴナでは蒸留後の薔薇を天日で乾燥させ、羊の餌にし、その糞を肥料として畑に返すのが伝統的な方法と教えられ、蒸留後の薔薇を村に分けてほしいと提案を受けました。土と花の循環の間に羊が加わることで、農業の循環系はひとまわり大きく膨らみました。
ムゴナでは羊は、食用、糞は畑の肥料、毛は織物の原料と多くのものを人に与えてくれ、犠牲祭では神に捧げる動物ともなる身近で大切な動物です。薔薇を食べて育った羊はとても美味しくなるのだそうです。
畑を垣根となって守り、土に還り作物を育て、羊を養うことで食をも支え、さらにばら水やドライローズとなって収入をもたらす薔薇。薔薇がムゴナの中で多彩な役目を担い、幸せをもたらす大切なものであることが実感できるサイクルです。

人々の憧れ、花の中の花 ~薔薇~

薔薇

ダマスカス・ローズの原産は、中近東周辺、またアジアとも言われていますが、薔薇はその美しさと香りゆえ、紀元前の時代からさまざまな人々の手を経て世界各地へと伝えられ、栽培される地域が広がりました。
ヨーロッパへ薔薇が到達したのは、フェニキア人によってエジプトを経てギリシアへ運ばれたのが始まりと言われています。モロッコの先住民族、ベルベルの人々は、このフェニキア人達と交易を行なっていたそうで、モロッコに薔薇が辿り着いたのも、ちょうどこの頃ではないかと想像が広がります。


古代ギリシア時代のホメロスの詩、エジプトのクレオパトラの美の秘密、ローマ皇帝の薔薇三昧のパーティなどのエピソード、インドのアーユルヴェーダ、中国の詩、お茶のレシピ、日本でも万葉集や源氏物語に薔薇は登場します。ルネサンスの画家、ボッティチェリの作品「ビーナスの誕生」で海から生まれたばかりのヴィーナスの周りに舞う花は、美を競わせるために大地の神が生み出した薔薇で、赤い薔薇は、ヴィーナスが流した血から生まれたという神話もあります。カルメンが自分の象徴とするのは赤い薔薇です。これらの物語に代表されるように官能的な美や情熱の象徴となった反面、眠り姫を守る茨の垣根や、聖女のイメージなど、清純さや清らかさ、神聖さの象徴にもなり、薔薇にはあらゆる理想の女性像や美のイメージが重ねられます。相反するイメージが読み取られるほど奥深い魅力を持ち、古代から現代まで、文化も時間をも超えて多くの人々に愛された花、それが薔薇です。

人々に愛され受け継がれてきた香りの歴史

薔薇

薔薇の香りを楽しむために、人々はあらゆる工夫をしてきました。初めは、花を水に浸けて作る香り水や、油に香りを移した香油などが主流でした。10世紀頃、科学の先駆けである錬金術の発達と共に、蒸留の技術が発達、芳香蒸留水のばら水が登場しました。
薔薇の香りをいかに捕まえるか、さまざまな方法が古くから試されたことからも分かるように、世界各地で、香水や化粧料として用いられるのはもちろんのこと、食品や薬としても古くから用いられてきました。


私達日本人にとって、薔薇は目で楽しむものという印象が強いでしょう。また、香りの楽しみも、働きも女性のもの、特別なものというイメージがあります。
しかしモロッコでは、薔薇の香りはもっと日常的で身近なもの。
アーモンド菓子や飲み物の香り付けなどに食用として、胃腸薬、目薬などの家庭用薬として、洗顔、礼拝時に体を清めるために、また、冠婚葬祭、来客をもてなす時にも、生活の様々な場面で頻繁に用いられています。男性も、礼拝に出かける時、シャワーの後等、ばら水を日常的に使います。
ナイアード・モロッコのスタッフ達は、自分たちが作るナイアードのばら水をきっかけに、もっとさまざまな場面で、日本でもより多くの人に気軽に薔薇の香りを楽しんでほしいと願っています。

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