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生産地インドでのヘナ

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メヘンディの絵

インドではヘナがメへンディ(Mehandi)と呼ばれていますが、ヘナという言葉もヒーナ(Heena/Hina)から生まれたとお話もあります。ヒーナとメハンデイは一緒です。この二つの言葉がイランから来たと思っている人が大勢います。
メヘンディという言葉は、「ヘナアート(ヘナタトゥー)」と「植物の名前」の両方で使います。

インドとイランの間には、文化そして貿易の関係が昔からあります。その関係性のおかげでヘナはインドに来ました。イスラム人がヘナをインドに紹介したと思われます。

ムガール帝国時代(1526年~1764年)からヘナの栽培が増えてきました。デリーとアーグラはムガールの首都だったので、ヘナの栽培は初め、この二つの地域だけで行われていました。それがファリダバード(インドの都市名。デリーの南に位置します)でした。しかし今は、ラジャスタンだけで栽培があります。
栽培地が変わってしまったのは何故なのでしょうか?
実は、約30~35年前からインドの経済がどんどん進歩しています。そして、デリーは工業都市になりました。ファリダバッドも工業化され、ヘナ栽培の優先度がどんどん低くなりました。

その頃、ラジャスタンは乾燥した気候により、野菜や穀類の栽培がとても難しい地域でした。しかし、ヘナは砂漠の植物でラジャスタンの気候に合っていたので、ヘナの栽培はデリーからラジャスタンで行われるようになりました。

インドでヘナは髪染めではなく、ボディアート、つまりヘナアート(ヘナタトゥー)として使われています。インドでは、ヘナアートの文化が昔からの伝統です。いつからなのか、誰にも分かりません。ヘナが普及する前、インド人は他の植物で肌を染めてタトゥーをしていました。このタトゥーはラーリ(Laali)と呼ばれてます。今もヘナ以外の植物で肌を染めてタトゥーをしている人もいます。昔は女性だけでなく男性の中でも人気がありましたが、今は、男性たちはあまりしません。昔から女性たちは手と腕と足にタトゥーしていますが、その伝統は続いています。かつて男性たちは基本的に足だけにタトゥーをしていましたが、今は結婚式の時以外にはタトゥーをしません。

伝統的にインドではタトゥーの文化にはとても重要な意味があります。幸せと悲しみに関わらず、インド人はタトゥーをします。つまり、結婚する時、赤ちゃんが生まれた時、お祭りに出る時、そして死んだ時もタトゥーが施されます。特にヒンドゥー教の女性が死亡した時、足にタトゥーを施します。

ヘナアートの文化はインドの昔からのタトゥー文化と融合して今に至りました。実は、ムガールの王様たちは芸術が好きでした、特にアカバルとジャハンギールとシャハジャハンという王様が芸術好きだったと言われています。そのため、皆ヘナアートを応援していました。
ヘナアートは結婚する女性は必ず行います。ヘナアートのおかげで女性たちの美しさが溢れます。男性たちもヘナアートをしている女の人が大好きです。結婚の時、これがないと誰しもが物足りなさを感じます。ヘナはインド人にとって、とても大切な化粧品でしょう。
そんなインドのヘナの文化、興味を持っていただけると嬉しいです。
(サティッシュ クマール モーリア:ナイアード インディア※日本研修中)

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